2006年03月24日

成功は誰にも内にある状態か

 同じ時期に活躍した人たちでも,アールナイチンゲールは成功をその人の外側の状態(つまり上流階級のような生活と行動のパターン)と考えているのに対し,ジョセフ・マーフィーは成功を内にある状態と考えている。

 そしてその内側にあるものは,もともと人間が人間として生まれたら持ち合わせているはずの「富裕権」というものだと考えている。

 つまりジョセフマーフィーは牧師であるから,もし人が神に似せて作られているなら,当然その性質は生まれたときからすべて持ちあわせているという考え方である。不幸な人間がいるのはそれに気が付いていない,またはマーフィーの場合,その内なる状態に対して主人である自分が上手に「働きかけていない」からだと考えているようだ。

 オグマンディーノの一連のラグピッカーシリーズを読んでもほぼ同じことが書いてある。人が生まれるときにすでに人にはさまざまな神による奇跡が起こり,少なくとも生まれた瞬間の泣き声をあげたときまでは神の奇跡が隅々まで行き届いている。

 しかし,生まれてから成長していくと,自分が神により作られた奇跡であることを忘れてしまったり,卑下してしまったり,ひどい場合は,自分をののしることでその奇跡さえも貶めようとする。

 成功とはマーフィーらにとっては,もともと人として持っているはずの性質を自分で呼び起こし,当然の状態に戻るものと考えられる。

 このような意味では成功とは特に外界の金銭的な状態や地位などとは関係ない。この考えは,自分が自分の心をコントロールするというロバートキヨサキやナポレオンヒルらの考えとも矛盾はしていない。

 ジェームズアレンもそうだが,自分の心というのは,自分が手を入れることのできる唯一の部分で,自分の外側にある暴風や狂気に身を任せてはいけないという考え方は,欧米人のかなり中心的な哲学である。

 金銭的な貧困よりも,アル中や麻薬中毒などを人生の敗北者とみなす傾向が欧米に強いのも,この自分をコントロールできなかったというところに判断の基準があるからと考えられる。

 金銭的な貧困は多くの場合,自分をコントロールするかどうかと直接は結びつかない。自分をコントロールしてほかの人からみれば貧しい,つつましやかな生活を送る人を敗北者とは呼ばないのもそのあたりの理由からだろう。
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2006年03月21日

やはり成功とは「状態」のことなのか

成功とは何らかの「状態」であって、目標や夢ではないのだろうか。そう思ってアールナイチンゲール「人間は自分が考えているような人間になる」(きこ書房)を読むと、確かに成功とは「状態」のことのようである。

というのも彼は、生まれつき裕福な「子どもたちにとって、成功は生まれた時から存在していたのである」(33頁)と書いているからである。

これらのもともと裕福に生まれた子どもたちは、別に夢や目標を立てたわけではないのに、「成功」しているのである。

この前後を読むと、彼が精力的に働いていた第二次大戦前後の時代背景もあるかもしれないが、「成功」している状態を、アメリカに厳然と存在する階級社会の上層に属する人たちの生活スタイルと結び付けている。

車や冷蔵庫、板張りの家を持ち、上品で知的な言葉遣いを自然に使う人間。それらの人間が生きている「状態」が「成功」というものだ。アールナイチンゲールは「成功」を「上流階級」とほぼ同時に捉えている。

そう考えると、目標をつかめとか、夢を持て!とは言えるが、成功をつかめとはいえない。「上流階級をつかめ!」という言い方が奇妙なのと同じである。「上流階級を目指す」という言い方も変だ。そうすると「成功を目指す」というのも変だ。

やはり「成功」とは到達する点ではなくて、長い期間継続し、人がそこに身を置く状態、環境、いや、社会的な地位・身分なのである。

posted by 成功哲学研究者 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

欧米では成功とは何かの定義は要らない?

自分の書棚には結構、エマソン、カーライルのような古典から、人が読まなさそうなブックオフでひっそりと埃をかぶっているハーヴィマッケイ(誰それ?)までいろいろ揃っている。それで「成功とはなんぞや」というのがズバリ書いてあるものを探しているのだが、意外にもない。

大体成功へのプロセスとか、方法は書いてあるのだが、成功とは何だと言っている人は少ない。ある意味ナポレオンヒルが定義してくれたことはありがたい。

なんで無いのか考えていたら、オグマンディーノの「この世で一番の奇跡」にどうも原因らしきものが書いてある。聖書には、神は人を神の姿に似せて作ったという部分がある。

つまり人は生まれながらにして、完成した奇跡であり、すでに成功した姿を持っているのだ。本来の成功した奇跡の姿をほとんどの人が示すことができないのは、失敗や恐怖不安や疑心などのせいである。オグマンディーノのこの本ではそういう考え方で話が進んでいく。

ということは、成功は何か高いところへ階段を登っていくという、ちょっと東洋的なイメージ(というかこれは進学塾のイメージか?)ではなく、人間本来のもともとの姿に戻るということなのだろうか。

そう考えると、ナポレオンヒルや金持ち父さんが自分をコントロールする、という意味合いが変わってくる。

自分をコントロールするというのは、成功への手段と考えてしまうが、実は本来の完成した自分を恐怖や不安などに投げ込んではいけない。コントロールされた状態そのものが成功した姿なのだ、と言いたいようにも思える。

こういう目で書棚の本をひっくり返してみると、これまでは成功への手段と思われてきた部分が実は成功そのものだった、なんていうことになりそうで、少し意識革命が起きている。

そういえば、目標をめざせ、とはいうが、成功をめざせ、とも成功哲学書は言わないように思う。

すると成功とは、ゴールのような到達点や結果ではなく、ある状態のことを指しているのだろうか?

謎は深まるばかりだ。
posted by 成功哲学研究者 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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