2006年03月26日

日本では「成功」の状態は難しいか

これまで「成功」の定義について考えてきた。

もし成功が、自分で自分をコントロールし、生まれた時からもともと与えられた豊かさを自分の中に実現している状態、と定義すれば、これは非常に欧米的な哲学で、それをそのまま日本人が行うのは非常に無理がある。

なぜか。例えばあなたはテレビや新聞のニュースを見て怒ったりしないだろうか。ニュースキャスターがちょろっと言っている批判的なコメントに、そうだそうだ!などと同調していないだろうか。

子どもの時、勉強が好きだった、または嫌いだった人もいると思うが、それは自分で判断してそうなっただろうか。単に周りがやっているから、やっていないから好きだったか嫌いだったかしたのではないだろうか?

一体、人間は自分の理解と判断に基づいて心の底から何かしたい、またはするなんていうことは、一日のうち何回ぐらいあるのだろうか。朝起きて寝るまでそれは全て周囲がやっているから、とか周囲に合わせてやっているだけなのではないだろうか。

周囲と違う行動を取ろうと言うことではない。仮に同じ行動をしていても、それをする理由が十分に自分で理解していなければいけないということだ。

「なんて疲れる考え方だ!」と思うかもしれないが、ソローやオグマンディーノはそういう考え方をしている。だからソローは自分の口に入れるものまでも完全に理解できるように自分で畑に植えたのだ。

他人に助けられたり、頼ったりする状況は現代社会では見えないところも含めればごく当たり前のように起きる。しかし、他人の意思判断により、自分が動かされている、という状態が最も悪い。

特に日本のメディアや教育は人に刷り込みを行うのが当然と考えている、理性を完全に破壊する恐ろしいシステムである。

それでも内容的に知的で高尚ならいいのだが、日本のメディアは他先進国と比べかなり低質だ。

あなたはライブドアが今好きだろうか。ちょっと前はどう思っていただろうか。今も前と変わらない気持ちでいるだろうか?それは自分で判断してそうなったのだろうか?

教育になると本当に相当まずい。

日本の教育は他国よりいいんだろう、などと思っている世代がいるようだが、2004年12月に公表されたOECDによる国際的な学習到達度調査結果によると、主要な先進国41か国中、日本の「読解力」は14位、「数学的応用力」は6位。

こんな教育を与えられて、何の理性的な判断もせず受け入れていると、あっというまに心の中に外界の暴風が吹き荒れるようになり、「成功」などとは程遠い人間になってしまう。

学校ではでたらめな個人主義を教えている。教師自身が自分で判断し理解するように訓練を受けてないのに、ラベルだけの個人主義を強調すると、子どもはただのわがままで感情をコントロールできないけだものと化す。

子どもが親を殺す、火炎瓶を浮浪者に投げる、子供同士が切り刻む。

自分で理性的な判断を取り、周りと協調することが他の誰にとっても幸福になるときはその判断に基づいて共に手を動かすことをいとわない。それが本当の「成功」であり、まさにこの「成功」についての定義を考え始めた時のナポレオンヒルの定義にも沿う。

ソローやオグマンディーノは、天国から日本のことを笑っているのだろうか、それとも温かい目でまだ間に合うぞ、と語りかけてくれているのだろうか。
posted by 成功哲学研究者 at 12:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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