2006年03月25日

貧乏でも成功の状態を楽しめる?

もし自分の行動と心をコントロールし、神にもともと与えられた状態を取り戻すこと、そしてその状態で生活を保つことを「成功」と考えると、では、貧乏な状態でも心豊かに過ごせばよいのか、という疑問が生まれる。

ジョセフマーフィーは自分の取り戻す状態は内にある神の国を自分で実現することと考えているから、神の国が貧乏であるのはおかしい、と考えているようであるが、そうで無く貧乏でよいと言う人もいる。

その代表は、今、ロハス系の人に見直され再び熱心に読まれ始めているソローだ。

彼は森の中に二年二ヶ月と2日入って、自分で小屋を立て自給自足の生活を実験として始めた。実験のつもりだったので、結局出てくるのだが、まめをまいたり魚を釣ったりして生活している描写がロハス系の人の心をくすぐるらしい。

しかし、彼は博物学というものを専門にした研究者なので、湖の深さを探ったり、豆をまく際も、「まめを良く知るにはまめに自分のことを良く知られなければならない」というネットワークビジネスで使えそうな面白いことを言っている。

そもそもそのころ大学にいける人間などめったにいない時代に、ハーバード大学を出た彼が無教養のただの貧乏人であったわけではないので、本当の貧乏でかつ成功している(!?)人の例にするのはおかしいと思う。が、富をあまり求めずとも、自分の好奇心や探究心、自然を支配する法則と自分との関係などに深く魅かれた彼は、あまり富がなくても良かったようだ。

彼の作った小屋は鍵もかかっておらず、そもそも取られるものもなく、誰でも入ってきて適当に休憩に使ったり、時にソローの話し相手になったりしたらしい。

本人がよければ、別に外界で富を求めなくても心の中に富を求めれば良い、と言うことだろうか。

posted by 成功哲学研究者 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 成功哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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