2006年03月29日

選択に必要な人生の道具

 自分が行う選択のせいで人生は成功へも失敗へも向かう。もしそれが人生と言うものであれば、無防備で何もせずに選択をしろというのは無理である。

 そこでオグマンディーノは人生に立ち向かうために道具が必要と言う。研究、学習、ハードワーク、勇気と忍耐である。多少地味ではあるが、これらを毎日続けることは非常に難しい。

一日のうちで何かに対して、おやっと思って調べたことはあるだろうか。まったくそんなことは無くぼんやりと過ごすのが普通ではないだろうか。何かを継続的に学習しているだろうか。

 つまらないことでも熱意を持って人に喜ばれるようにやり遂げられるだろうか。一生に何回かしかない場面で勇気を振り絞ることができるだろうか?

 逃れられない困難から逃げず耐えることができるだろうか・・・

 これらのことを道具として使いこなせるようになる前にやるべきことがありすぎる。

 逆に言えばこれらのことを経ないであまりに気楽に選択をしすぎていないだろうか。それが人生の敗北者への特急便だとも知らずに…


posted by 成功哲学研究者 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 成功哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

選択の力

 清貧系であろうと億万長者系であろうと、もし「成功」がすでに生まれた時から与えられている状態を自分をコントロールしてより輝かせていくこととすれば、この世には人生でつまずく人間がどうしてこんなにいるのか、という疑問が起こる。

オグマンディーノはこれに対して、ずばり、それは「選択の力」のせいだという。彼の話では、経済的に苦しい人間ではなく、アルコール中毒や麻薬中毒の人間が人生に敗北した者として描かれている。

 なぜこれらが人生に敗北した者と考えられているのか?それは、自分で立ち直ることを選択できるのにそれをしようとしないからだ。

 一度間違っても、立ち直るという選択もあるし、そのままにするという選択もある。間違ったそのままにしておこうという「選択」をしている人をオグは敗北者とみなしている。

 そういう意味では、一度事業をたたんでしまってもそこで「敗北者」かどうかはまだ分からない。その次にする選択が何なのかで決まるのだ。また事業に挑戦するのか、それともその状態で終わるのか。

 成功とは出てきた結果ではなく、そこからどのような選択をするのかで決まっていく。
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2006年03月26日

日本では「成功」の状態は難しいか

これまで「成功」の定義について考えてきた。

もし成功が、自分で自分をコントロールし、生まれた時からもともと与えられた豊かさを自分の中に実現している状態、と定義すれば、これは非常に欧米的な哲学で、それをそのまま日本人が行うのは非常に無理がある。

なぜか。例えばあなたはテレビや新聞のニュースを見て怒ったりしないだろうか。ニュースキャスターがちょろっと言っている批判的なコメントに、そうだそうだ!などと同調していないだろうか。

子どもの時、勉強が好きだった、または嫌いだった人もいると思うが、それは自分で判断してそうなっただろうか。単に周りがやっているから、やっていないから好きだったか嫌いだったかしたのではないだろうか?

一体、人間は自分の理解と判断に基づいて心の底から何かしたい、またはするなんていうことは、一日のうち何回ぐらいあるのだろうか。朝起きて寝るまでそれは全て周囲がやっているから、とか周囲に合わせてやっているだけなのではないだろうか。

周囲と違う行動を取ろうと言うことではない。仮に同じ行動をしていても、それをする理由が十分に自分で理解していなければいけないということだ。

「なんて疲れる考え方だ!」と思うかもしれないが、ソローやオグマンディーノはそういう考え方をしている。だからソローは自分の口に入れるものまでも完全に理解できるように自分で畑に植えたのだ。

他人に助けられたり、頼ったりする状況は現代社会では見えないところも含めればごく当たり前のように起きる。しかし、他人の意思判断により、自分が動かされている、という状態が最も悪い。

特に日本のメディアや教育は人に刷り込みを行うのが当然と考えている、理性を完全に破壊する恐ろしいシステムである。

それでも内容的に知的で高尚ならいいのだが、日本のメディアは他先進国と比べかなり低質だ。

あなたはライブドアが今好きだろうか。ちょっと前はどう思っていただろうか。今も前と変わらない気持ちでいるだろうか?それは自分で判断してそうなったのだろうか?

教育になると本当に相当まずい。

日本の教育は他国よりいいんだろう、などと思っている世代がいるようだが、2004年12月に公表されたOECDによる国際的な学習到達度調査結果によると、主要な先進国41か国中、日本の「読解力」は14位、「数学的応用力」は6位。

こんな教育を与えられて、何の理性的な判断もせず受け入れていると、あっというまに心の中に外界の暴風が吹き荒れるようになり、「成功」などとは程遠い人間になってしまう。

学校ではでたらめな個人主義を教えている。教師自身が自分で判断し理解するように訓練を受けてないのに、ラベルだけの個人主義を強調すると、子どもはただのわがままで感情をコントロールできないけだものと化す。

子どもが親を殺す、火炎瓶を浮浪者に投げる、子供同士が切り刻む。

自分で理性的な判断を取り、周りと協調することが他の誰にとっても幸福になるときはその判断に基づいて共に手を動かすことをいとわない。それが本当の「成功」であり、まさにこの「成功」についての定義を考え始めた時のナポレオンヒルの定義にも沿う。

ソローやオグマンディーノは、天国から日本のことを笑っているのだろうか、それとも温かい目でまだ間に合うぞ、と語りかけてくれているのだろうか。
posted by 成功哲学研究者 at 12:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月25日

貧乏でも成功の状態を楽しめる?

もし自分の行動と心をコントロールし、神にもともと与えられた状態を取り戻すこと、そしてその状態で生活を保つことを「成功」と考えると、では、貧乏な状態でも心豊かに過ごせばよいのか、という疑問が生まれる。

ジョセフマーフィーは自分の取り戻す状態は内にある神の国を自分で実現することと考えているから、神の国が貧乏であるのはおかしい、と考えているようであるが、そうで無く貧乏でよいと言う人もいる。

その代表は、今、ロハス系の人に見直され再び熱心に読まれ始めているソローだ。

彼は森の中に二年二ヶ月と2日入って、自分で小屋を立て自給自足の生活を実験として始めた。実験のつもりだったので、結局出てくるのだが、まめをまいたり魚を釣ったりして生活している描写がロハス系の人の心をくすぐるらしい。

しかし、彼は博物学というものを専門にした研究者なので、湖の深さを探ったり、豆をまく際も、「まめを良く知るにはまめに自分のことを良く知られなければならない」というネットワークビジネスで使えそうな面白いことを言っている。

そもそもそのころ大学にいける人間などめったにいない時代に、ハーバード大学を出た彼が無教養のただの貧乏人であったわけではないので、本当の貧乏でかつ成功している(!?)人の例にするのはおかしいと思う。が、富をあまり求めずとも、自分の好奇心や探究心、自然を支配する法則と自分との関係などに深く魅かれた彼は、あまり富がなくても良かったようだ。

彼の作った小屋は鍵もかかっておらず、そもそも取られるものもなく、誰でも入ってきて適当に休憩に使ったり、時にソローの話し相手になったりしたらしい。

本人がよければ、別に外界で富を求めなくても心の中に富を求めれば良い、と言うことだろうか。

posted by 成功哲学研究者 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 成功哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月24日

成功は誰にも内にある状態か

 同じ時期に活躍した人たちでも,アールナイチンゲールは成功をその人の外側の状態(つまり上流階級のような生活と行動のパターン)と考えているのに対し,ジョセフ・マーフィーは成功を内にある状態と考えている。

 そしてその内側にあるものは,もともと人間が人間として生まれたら持ち合わせているはずの「富裕権」というものだと考えている。

 つまりジョセフマーフィーは牧師であるから,もし人が神に似せて作られているなら,当然その性質は生まれたときからすべて持ちあわせているという考え方である。不幸な人間がいるのはそれに気が付いていない,またはマーフィーの場合,その内なる状態に対して主人である自分が上手に「働きかけていない」からだと考えているようだ。

 オグマンディーノの一連のラグピッカーシリーズを読んでもほぼ同じことが書いてある。人が生まれるときにすでに人にはさまざまな神による奇跡が起こり,少なくとも生まれた瞬間の泣き声をあげたときまでは神の奇跡が隅々まで行き届いている。

 しかし,生まれてから成長していくと,自分が神により作られた奇跡であることを忘れてしまったり,卑下してしまったり,ひどい場合は,自分をののしることでその奇跡さえも貶めようとする。

 成功とはマーフィーらにとっては,もともと人として持っているはずの性質を自分で呼び起こし,当然の状態に戻るものと考えられる。

 このような意味では成功とは特に外界の金銭的な状態や地位などとは関係ない。この考えは,自分が自分の心をコントロールするというロバートキヨサキやナポレオンヒルらの考えとも矛盾はしていない。

 ジェームズアレンもそうだが,自分の心というのは,自分が手を入れることのできる唯一の部分で,自分の外側にある暴風や狂気に身を任せてはいけないという考え方は,欧米人のかなり中心的な哲学である。

 金銭的な貧困よりも,アル中や麻薬中毒などを人生の敗北者とみなす傾向が欧米に強いのも,この自分をコントロールできなかったというところに判断の基準があるからと考えられる。

 金銭的な貧困は多くの場合,自分をコントロールするかどうかと直接は結びつかない。自分をコントロールしてほかの人からみれば貧しい,つつましやかな生活を送る人を敗北者とは呼ばないのもそのあたりの理由からだろう。
posted by 成功哲学研究者 at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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